MINAMI ガラテ館の現状

 

これをパビリオンを呼んでいいのかどうなのか。
個人的には全く興味のなかったパビリオンの一つ、MINAMIガラテ館。
実は閉幕から30年経とうとしている現在でも現存しているというから驚きである。

現存、と言っても神戸館やUCC館のように、アクセスよい場所で沢山の入場者を迎え、陽の目を見てるかというと、全くそうではない。
ひっそりと人目をはばかるようにして、申し訳なさそうに佇むけなげな姿には涙さえ浮かべてしまうのだ。

場所はコチラ。大阪南港。

ポートアイランドで行われたのに、何故、ライバルとも言える大阪南港なのかが分からない。
かつては大阪市も南港に博覧会を招致しようとして、千里丘陵に敗れたというウワサ(真偽の程は定かでないが)があるだけに、大阪市としては意地になっているのかも知れない。

ま、それはそれでいいのだが、大阪南港でも釣り客しか来ず、アクセスも極めて不便な魚つり園の端っこ。
どういう意味でこんな場所に設置したのか、全くもってナゾだらけ。

もっとランドマークとして相応しい場所に展示するのがよいかと思うし、そもそも、何故、ガラテ館を選んだのかも分からない。

博覧会開催中はガラテ館の周囲でパフォーマンスなどが繰り広げられていたが、もはやそんな面影はどこにもない。
海の目前だけに潮風にさらされ、錆だらけ。
展示されている、というよりも、産業廃棄物として放置されているようにさえ見える。

足元に埋め込まれた説明パネルはあるものの、なぜここに設置されるようになったかの経緯は全く書かれておらず、そもそも、これがポートピアで展示されていたことすら書かれていない。

ガラテ館の中は空洞になっており、画像から分かるように中へ入ることも可能。
少し覗き込んでみたが、毛布やらゴミやら散乱していて、とても入る気にならなかった。
おそらく釣り客がこの中で寝泊りしているのだろう。海中ハウスと謳っているだけに、それなりにハウスとして機能しているのはさすがといったところだ(笑)

ポートピアが閉幕して30年近く。
海に生きたハウスは、ボロボロになりつつも、余生を海の前で過ごし、釣り客と、海の安全を願っているのだ。たぶん。

※レポート2010年4月

――― 2011年5月 追記 ――――

上記の文章を書いてから1年が経ちましたが、サイト閲覧者様より、「当初から魚釣り園にあった訳ではなく、元々はフェリーターミナル前(大阪南港)にあった」との情報をいただきました。
その方によれば、見たのは今から約20年前とのことですから、1990年頃にはフェリーターミナルにあったと言うことになります。
で、国土情報ウェブマッピングシステムで昭和60年度の地図を検索したところ、確かにそれらしき物体が映っているのが確認できました。
ちなみに昭和60年当時、魚釣り園は一応あるような感じではあるものの、隣接する関電の発電所などはまだ埋め立て・造成中の感じでした。


1985年現在のフェリーターミナル空撮
右下の連絡通路脇の丸い物体は確かに…

また、Googleマップ『ストリートビュー』でフェリーターミナル前を検索すると、台座らしきものが確認できます。


ストリートビューによる現在の台座部分

私が魚釣り園でガラテ館を確認したのが1998年ですので、この8年の間に何らかの理由で移設されたと言うことになります。


私が最初に再会した98年当時のガラテ館。
まだサビが少なく、周囲のチェーンも取れてない。

誰が。何故。この場所に移設したのか。

ガラテ館にまつわるナゾは尽きませんw

ポートピア当時はあんなに地味だったパビリオン。
何故、閉幕後にこんなに私達の心を動かすのか…

ああ。恐るべし。ガラテ館。
もはや、『大阪万博における太陽の塔と同じレベル』と言っていいのかも知れない。神の領域へ近づいていきますw

願わくば、『アクアポリス』と同じ末路だけは辿らないよう、祈るばかりです
(-_-;)

――― 2012年5月 追記 ――――

情報いただきました。
2012年5月段階のガラテ館の画像をいただきました。

腐食が更に進み、バリケードで囲まれているのが分かります。
危険防止のためのバリケードなのか、撤去準備のためのバリケードなのか
理由はわかりませんが、このままの状態ですと、いつまで見れるか分かりません。

引き続き、情報求めます。

――― 2016年4月 追記 ――――

サイト閲覧者様より情報いただきました。

遂に撤去されました。

だた残るのは、台座のみ…

最初にこのコーナーを書いてから丸6年。
6年の間にSNSが急速に普及し、スマホから気軽に気になったコト、モノをその場でネット上へとUPできるようになりました。
そうした身近さからか、「大阪南港に変な建造物がある」的なポートピアを知らない世代からの投稿を見たり、折からの廃墟ブームもあって書籍で紹介されているのを目にすることもありました。

パネルも地中へと埋もれていく…

そうした記事を見るたびに、だんだんとヤバイ状態になってるなぁ…と思っていたのですが…
遂にこの日が来てしまいましたか。

ポートピア開催中はダイエー館やサントリーや松下館のように脚光を浴びることもなく、キワモノ的な目で見られていたガラテ館。
それが、時を経て、ある意味一番注目を浴び、世代を超えた人々の印象に残ることになろうとは誰が予想したでしょうか。

”海で暮らす”という壮大な使命を負いながらも、流転の人生(?)を送ったガラテ館を、私たちは忘れることはないでしょう。

ありがとう ガラテ館。

そして、さようなら。

チーン

大阪南港 魚つり園へやってきました。
画像右手奥に見えるのは… もしや…

 

ありました。ガラテ館。

 

長年の潮風にさらされ、ボロボロ

 

地面には説明書きのパネルが

 

何を想う…

 

今日もただ海を眺める

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googleマップ 座標
34.616144,135.401387

 

宇宙からでも、このとおり。